翻訳家インタビュー
 
鈴木恵さんの巻

鈴木恵は本名です、男性です
映画は外の世界への扉だった
「翻訳学校」にピン! と反応
仕事のペース
大人になってからの趣味で小さく一儲け
翻訳の魅力
訳書リスト ミニ写真集  

鈴木恵は本名です、男性です

「ぼくの親父は石橋をたたいて渡る、慎重な人間なのに、どうして子どもの名前で冒険したんでしょうね」

 翻訳家、鈴木恵。本名。恵(めぐみ)という漢字表記、名前の音といい、女性とよく間違えられるというが、背の高い男性。もちろん(?)名前だけだとよく女性に間違われるそう。悲しいエピソードには事欠かない。なかでも、子どもの頃ラジコンカーの景品目当てで、カイコの飼育日記を仕上げて送付したが、鈴木恵(男)と明記したにもかかわらず、送られてきたものは、女の子用の景品、ぬいぐるみのラジコンだったという。

 閑話休題。
 では、これから翻訳家にいたるまでの人生を、時系列で追っていこう。

 1959年、長野県松本市生まれ。2つ上の兄との2人兄弟。父親は国語の教師、母親は幼稚園教諭という、家に本棚がたくさんあってもおかしくない環境。子どもの頃は、さぞたくさんの本に囲まれていたのでは。

「いや、たくさんあるというほどでもなかったと思いますよ。でも、読むのは嫌いではありませんでした。あの当時はどこの家にもあった、講談社の世界文学全集が、やはり家にもありよく読んでいましたよ。好きだったのは、『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ)、あと、ソ連(現ロシア)の巻が一番好きでした。『連隊の子』(ヴァレンチン・カターエフ)が特に。『森は生きている』(マルシャーク)より好きでした。この『連隊の子』ってマイナーな作品だと思うんですが、知ってます?」

 う、知りません。渋い作品を好んでいたんですね。

 さて、ここからどんどん本の虫になり……とはならなかった鈴木さん。本は好きだったけれど、ふつうに好きだったんだと思うと自己分析。

 地元の中学校にあがってからは、テニス部に入る。中学、高校は部活にのめりこむ時期でもあるので、聞いてみると

「いや、そんなでもありませんでしたね。でも、成績は県3位にまでなったことありますよ」

 と、すごい成績もさらりと。
 鈴木さん、とにもかくにも、大げさに話すことなく、どんな話題も淡々と答えてくださる。

映画は外の世界への扉だった

 この時期、部活のテニスをすることより、映画の方が好きだったという。地元にくる映画はほとんど観たと思うほど。この映画熱は高校に入ってからもさめることなく、とにかく数を観た。当時は、映画館にある無料のパンフレットが置いてあり、いまもそれは何十冊と大事にとってあるそうだ。

「あのパンフレットは宝物。大事にとってあります。当時、映画を観ることが、外の世界への扉のように思えていたんですね」

 もっぱら観ていたのは、洋画が多かった。映画を観ることは、外の世界を観る扉のようなものだったという。本も好きで読み続けていたが、この頃の一番は本より映画だった。

 そして早稲田大学第一文学部入学。
 この頃から興味は映画から芝居へとうつっていく。
 芝居は観るだけで終わらず、実際に関わるようになり、学生の時から芝居の裏方でお金を稼ぐようにもなった。大学を卒業しても、そのまま生活を変えることなく、裏方稼業を10年以上続けていくのだが。

「だけど、このままではダメだと思うようになってきたんですよ。30代になってから、他の仕事についても考えるようになりました。本も好きだったので司書という選択も考えたんですけどね」

 芝居の仕事もおもしろかった。日本のあちこちに移動し、仲間たちと酒を飲みながら語りあう、そんな日々は確かに楽しかった。しかしだんだんと、日銭を稼ぎならの不安定さも感じるようになり、芝居の仕事を続けながらも、何が自分にできるのだろうか、この年齢から始められる安定した職業はあるだろうかと、頭の中で職探しを始めるようになった。

「翻訳学校」にピン! と反応

 そんな時、雑誌の広告に載っていた「翻訳学校」にピンときた。

「本を読むのは好きだし、これならいいんじゃないか」

 さっそく、資料を取り寄せ、芝居の仕事を続けながら通信教育で勉強をはじめる。はじめてみたら、やはりピンときたことに間違いはなく、おもしろくて夢中になった。課題を提出するのに、提出猶予期間も合わせて2カ月たっぷり使い、何度も何度も推敲してから提出していく。その勉強がたまらなくおもしろかった。やりはじめると、さらりといい成績を出した鈴木さん。ここでも、受講期間の2年を過ぎたとき、成績優秀で通学部への編入を許可される。

「まだ裏方の仕事をしていましたから、時間のやりくりはとても大変でした。裏方での仕事はまとまった期間休めないので、通学するとなると、その期間の芝居仕事はきちんと引き受けられないんです。食べていくためには仕事(裏方)も必要。でも、次のステップのためには勉強も必要。必死にやりました」

「通学講座はどのくらい通ったかなあ。1年半から2年くらいだったと思います。そのあとに、師匠の伏見威蕃先生の元でさらに2年くらい勉強しました」

 こうして力をつけることのできた鈴木さんが、デビューしたのは?

「伏見先生にリーディングの仕事を紹介していただいたのをきっかけに、1997年に、アンソロジー『翼を愛した男たち』の一篇、「ハンス・プファールという人物の無類の冒険」(エドガー・アラン・ポー)を訳しました。1998年、39歳のときに、自分の名前で出た『大洪水』がデビュー作といえると思います。その後すぐに、またアンソロジー『ミステリアス・エロティクス』(マイケル・オマーラ・ブックス)で、「ベレニス」というポーの短篇を訳しました」

 まずは、順調な出足だったと言える。

「自分の名前で訳書が出てすぐ仕事を辞めたんです。翻訳でやっていけるかなと。しかし、それは甘かった(笑)。初版部数も年々減ってきているので、自分の訳しているペースだと、ちっとも楽にはなりません。芝居をやっていた時も、生活は苦しかったですが、翻訳もそれほど変わらない。実際、黒字になったのは、『ダンテ・クラブ』からです」

『ダンテ・クラブ』が出たのは2004年。同じジャンルの歴史ミステリとして『ダ・ヴィンチ・コード』がひと足早くブレイクしている。

仕事のペース

 1998年に1冊目の訳書を上梓してから、今年2008年で10年。この間の訳書は30冊弱ほどで、おおざっぱに1年に3冊くらいのペースだろうか。

「ほかのみなさんは、もっと器用にたくさん訳されていてすごいなと思いますが、ぼくはどうも、そんなにたくさん訳せないみたいです。どうしても時間がかかってしまう。ほかの方がたくさん訳しているのを見ると、すごいと思うと同時に不思議にも思えてくるんです」

 鈴木さんは、通信教育で勉強していた時もそうだったが、とにかく訳文を考え推敲していくのに時間をたっぷりかける。そうしていくと、なかなか訳書を増やすことができないらしい。

大人になってからの趣味で小さく一儲け

 ところで、大人になってからの趣味は引き続き映画なのだろうか。

「山登りも好きで、翻訳家仲間と登っています。あとは、競馬ですね」

 競馬はそうとうお好きとうかがってますが。

「いまでは、生活費を稼ぐ重要なものになっています。というのはウソですが、今年は特に調子がいいんですよね」

「好きになったきっかけは、よくあるビギナーズラックなんですが、今年は数カ月は競馬の稼ぎで食っていけています。それともうひとつ今年はいいことがありました。よく競馬にご一緒する書評家のかたから、競馬雑誌に連載する翻訳競馬ミステリーを探しているんだけど、何かない? と持ちかけられ、すぐさまその時読んでいたものが頭に浮かび、コレです! と。でも、結局その時紹介したものはボツになって、もうひとつ紹介したほうが採用されることになりました。週刊競馬雑誌「Gallop」で11月から連載が始まります。好きなことが仕事につながり、うれしいですね。いままでつぎこんだお金をこれで取り戻すべくがんばります」

 鈴木さんは、どの話も感情を高ぶらせることなく語られるのだが、この競馬の話は熱がこもっていた。その熱い気持ちが仕事も引き寄せたのではないだろうか。

翻訳の魅力

 では、最後にいくつかまとめて、好きな作家やこれからのお仕事予定、そして翻訳の魅力について伺ってみた。

「ミステリ小説の原体験は、ご多分に漏れず、あかね書房版の「少年少女世界推理文学全集」。そのあとイアン・フレミング。007シリーズはほぼ持っていたはずだし、映画も地元でかかったものはすべて見たはずです。そのあとアリステア・マクリーンにはまりました。その後も冒険小説・スパイ小説系が好きで、とくに熱心に読んだのは、ジャック・ヒギンズ、ギャビン・ライアル、フリーマントル。いちばん好きなエルモア・レナードに出会ったのはそのあとぐらいで、予断を許さないストーリー展開と強烈なキャラクターたちに魅せられました。あとは、トレヴェニアン、ロス・トーマスなど。最近では、R・D・ウィングフィールド。でも、これは作家というより、訳者の芹沢さんの文章が好きなのかも」

「自分の訳書で気に入っているものは――。『ドライブ』(ジェイムズ・サリス/ハヤカワ文庫)かな?? うーん。微妙だなあ。読み返すと、自分の訳文のへたくそなところばかりが目について、平常心で読めないんですよ。自分の訳文の完成度としてまあまあ満足しているのは、ポーの短篇『ベレニス』ですね。
 まだ本にはなっていませんが、今年の春に『ホワイト・タイガー』(文藝春秋にて来年刊行予定)という作品を訳しました。アラヴィンド・アディガというインド人作家のデビュー作ですが、いまはこれがいちばん気に入っています。貧しい農家に生まれた少年がいかにして実業家になったかという、黒いユーモアにあふれたピカレスクで、じつにぼく好みの作品です。今年のブッカー賞を受賞しています」

「これからですが、もちろん、面白いミステリーを訳したい。そのほかに、やはり古典ものを訳してみたいという気持ちがあります。というのも、新しいものはどうしても文章の賞味期限が早く切れがちですが、古いものは劣化がすごくゆっくりになるので。平井呈一訳のラフカディオ・ハーンみたいなのが理想です」

 鈴木さんの訳される古典、読んでみたいです。では、鈴木さんにとって翻訳の魅力を一言であらわすと?

「しあげる楽しみ!」

 本当に一言で決めていただいた。ありがとうございます。
 広告にピン!ときて、そこからじっくり熟成するようにいまの職業を得た鈴木さん。これからも、ゆっくり丁寧に「しあげる楽しみ」を味わいながら、翻訳の仕事を積み重ねていくに違いない。

 

インタビュアー:林さかな(2008年9月)