編集Aのマリ共和国滞在記2004
滞在記の感想はBBSまでお願いします。
どうにか1年近くかけて書き終わったばかりの「マリ滞在記」ですが、いきなり第2弾がはじまりました。
いまはまだパリ。朝の8時40分。夕方4時すぎの便までくつろぎ中です。 ・今回もエールフランス使用。荷物がバマコまでスルーできるので、待ち時間も安心です。 ・早朝4時半着。そのころから動いている空港巡回の5番バス(無料)でibisホテルへ。朝6時から時間貸ししているはずが、なぜか今回も7時すぎまで待たされました。やれやれ。デイタイムユースは1時間10ユーロ。ちなみにFireWireは2時間10ユーロです。
こちらはまとめつつアップしますので、更新は遅めかもしれません。お楽しみに!
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Date: 2005/01/29(土)
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いまとなってはかなり記憶はあいまいですが、ダンナと合流してローマで3泊。その後一人っきりでパリへ。こちらも3泊です。マリでいためたノドは、ヨーロッパの湿気で徐々になおってきました。パリではとくに目的はなく、以前手がけた『アール・ヌーヴォー』の本にちなんでモールを見て歩こうと思っていたくらいです(4カ所ほどまわりました)。
パリに到着後、ジェネラルのところで出会ったカスンケを学んでいたフランス人女性ジュリがひと足先に帰国していたので、連絡をとり、彼女のメンバーたちとスタジオでの練習に参加させてもらいました。レベルは、ちょうど日本の仲間を思い出す感じで(少しリズムが複雑になると破綻する人がいたり、できちゃった結婚を発表する人がいたり)、ああ、ここでもがんばっている人たちがいるんだなー、またいつか彼らと一緒に演奏したいなー、と思っています。
ジュリが連絡をとってくれたおかげで、カリム師のお兄さん宅も探し当てることができ、ここでいただいたマリごはんが、ちょうど油で痛くなっていた胃にうれしかったです。お兄さんからは伝統の弦楽器をいただきました。
そして無事に帰国。後日談としては、そのときに待っていたCDGの待合室は3カ月後に崩落したので、いまはないのかも・・・というちょっと恐ろしい話。
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Date: 2005/01/24(月)
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ようやく普通の日。朝9時半ごろ出発して、ホテル・ラミティエ前のいつもの店で朝食、その間にみやげ物屋でねぎって民芸品を買う。2個で3500FCFA(最初の値段は1個5000FCFA)と、1個で2500FCFA(こちらも同じ)。これは妹のダンナ用。変なものを買ってきてね、と頼まれたので。あえて。
その後パレで舞踊団の練習を見学。ああ、毎度のことながらぜいたくな時間です。
お茶をいただいてから、移動。まっすぐにアラサンの練習場所へ。美しいカジャトゥのテゲテゲができていました。ガジャトゥの料理はいつものことながら美味。そして、すぐに練習。DHIDADHI, SUNU, BOBO, MARAKA, SANDHIAを総ざらい。
ガジャトゥにタフィー(布)を頼むと、7種類くらいもってきてくれた。6メートルで10,000FCFA。4種類ほど購入。練習のほうはカリム師がていねいに見てくれながら、あっという間に3時間がすぎていました。
昨日手に入れたグラン・ブブをカジャトゥに着付けてもらい、Tさんとともに記念撮影です。帰り道にはビールを飲んで、ホテルへ。明日はいよいよヨーロッパに移動です。
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Date: 2004/02/12
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カリム師の家にもどるときに、今日はプティ・ダラマンのお祝いの日と知らされました。これはカリムのイベントと同じもので、お返しにカリム師も叩くんだそうな。準備のあいだは当然待ち時間で、Tさんはバンバラ語収集にがんばり、私はあっさり昼寝モードに。夕方、先日ママディ氏のお祭りの出張演奏があったのと同じ場所へ。
カリム師とはちがって、ダラマン氏はがんがん叩いていた。お祭りにカスンケ・ドゥンドゥンは、むちゃくちゃ映えるなー。カスンケ、かっこいい!!
私とTさんも少しだけダンスに参加して楽しく祭りも終わり、カリム師宅に帰ると、すでにマリVSモロッコ戦がはじまっていました。今日は試合の流れが悪く4-0で惨敗。早く帰れるからそれでもいいんですが(笑)。途中で受け取ったオーダーのグラン・ブブはなかなかの仕上がりです。カリム師にはプレゼント第2弾として、古着のTシャツ類をあげました。荷物を減らしたい時期です。昨日あまりにも美味しかったので、今日もクスクス。
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Date: 2004/02/11
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今日もママディ氏のお迎え。ドアを開けたときに彼がいるとがっかりするのは、やっぱり意思が通じなくて大変だから。70枚手に入れたジェンベ用の皮を出しに空港に移動。皮が空港からしか出せないとは知りませんでした。いろいろな手続きに2時間近くかかってようやく終了。前もって用意してあった検疫の証明書が役に立ったからかもしれない。あいだにあれこれ手数料もかかりました。カリム師もやり方をじっと観察していたので、これからは心得ることでしょう。
※後日談:結局、皮を検疫で通すのは力仕事で、持ち帰るまでに3回も成田に行くはめになりました。それでも70枚を個人用で押し通して輸入できたのは奇跡に近いんだそうです。50枚は知り合いの依頼だったんですね。もう二度としません(笑)。
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Date: 2004/02/11
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いつものように譜面などありませんから決めなどはその場で打ち合わせていきます。乾いた空気のなかに響くシディキの音は美しく、たくさんの人が魅せられていくのがよくわかりました。・・・それにしても、ものすごく贅沢な環境です。すべてをじっと聴いていられるなんて!
そうこうするうちにケンケニの若手が、自分の入りではまってしまい、そこでかなりの時間をロスしました。どうしてもひっくり返って入ってしまうんですね。日本人だけじゃなく向こうの人にも同じことが起こるんだと、ちょっとうれしくなりました。
昼食をはさんで4時間近くかかって録音は終了。レッスンはさすがになしです。帰りにいつもの食堂で手に入れたクスクスは絶品でした!
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Date: 2004/02/10
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今日も朝はママディ氏のお迎え。意志の疎通がなかなかむずかしいなー。カリム師がいるところまで行き、今日は遠出。行ってみるとシディキ・カマラ氏の家(というか、合宿用の大きな家?)でした。高い塀に囲まれており、中庭のまわりには個室がならんでいます。さらにトイレ兼洗面スペースには、洗面台と鏡とシャワーがありました! すごい! パンとNIDOの朝食にまぜてもらい、(顔も体も)でっかいシディキ・カマラ氏のCD制作のための録音日だということが判明。
フランス人のプロデューサーが、スタッフとともにマイクなどの環境をセッティングしています。今日はどうやら2曲ほどとるらしく、カリム師のほかに、舞踊団のファネ氏、ダラマン氏、その他よく見かける人たち7〜8人でリハがはじまりました。
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Date: 2004/02/10
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とにかくすごいお祭りでした。舞踊団のみんなも来て、歌も踊りも音楽もすごく充実した日でした。お金がかかったんだろうなー、と思っていたら、帰りがけにカリム師 から30,000FCFAのレッスン料前払いを頼まれました。そうでしょうね。
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Date: 2004/02/09
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